山里清*
A Step Forward toward an Intemational Society
Kiyoshi YAMAZATO*
沖縄生物学会の最近の特筆事項の一つとして目本学術会議の登録学協会に認定されたことをあげることができる。この認定の条件の一つに地方的学会ではなく全国的学会であるという項目がある。沖縄生物学会は沖縄の生物を研究の対象にする全国的学会であるということが認められたのである。
これにはいささか戸惑いを感じる向きもあるかもしれない。25年前に本学会設立に奔走された方々の脳裏には、日本本土から切り離されて孤立した沖縄の自然や生物の研究は、たとえ力不足であっても、沖縄に住むわれわれがやらなけれぱならないというやみ難い責任感があったことであろう。だから、われわれが創るのは沖縄の生物学会であり、それ以外の何物でもない。いまさら全国的学会も無いのではないか、と。
沖縄の施政権返還は善きにつけ、悪しきにつけ理性と感情を刺激するものが多い。日本復帰により多くの本土生まれの生物学徒が沖縄の住人として、あるいは旅行者として来訪している。本音がどうかはさておいて、たてまえ上は、孤立を解消し、沖縄の生物の研究者が増加することであり喜ばしい。沖縄生物学会が全国的学会になり得た背景には、このような人たちを吸収したことがある。しかし、沖縄の生物の研究者がすべて沖縄生物学会に加入したわけではない。今後は、この未加入者を一人でも多く吸収することである。そして、名実ともに、日本に於ける沖縄生物研究者の集団とすることである。
しかし、他方、沖縄生物学会を沖縄在住生物学者の集団としたいという願望もあろう。沖縄生物学会のもう一つの重要な存在意義は、沖縄在住の生物研究者や生物愛好者の親睦をはかり、研究活動を高めていくことである。全国的性格が強くなれば、それだけ地元愛好者の学会離れを誘うおそれがないわけではない。最近の、大会参加者減少の傾向が、このことを物語っていないとはいえない。もしそうであるとすれば、問題である。地元愛好者、地元研究者の興味をつなぎ止めることができなくなってしまったというのであれば間題である。
思うに、生物学は、自然科学のうちでは最も個別的法則性の追求が尊ばれる科学である。一般的普遍的法則に到達する道程が長いからである。これは地域科学としての性格が強いことを意味する。沖縄生物学会のような地域的学会の存在意義は、地域特有の現象を対象に、地域的、個別的法則を追求するところに求められる。そして、このような研究は、その地域在住者に特権的に委ねられているものである。沖縄生物学会に活力を蘇らせ、会員にとって魅力あるものにする鍵はここにありそうである。
祖国復帰の道を選んだ以上、すくなくともしぼらくは後戻りするわけにはいかない。沖縄生物学会も、同窓会的限定会員制の団体である必要がない限り、広く沖縄の生物現象を研究する人たちに解放しなけれぼならない。そうしながら、地元在住会員の興味をも引き留めなくてはならたい。その鍵が地元在住者でなければ取り組めない地域的研究課題の研究にあるというのである。このような認識にたって、学会として、組織的に研究課題を抽出し、共同研究を組織することはできないものであろうか。
地域学会だから地域的個別的課題の取り組みだけで満足して良いというのではない。一般的普遍性の高い課題の追求も大事にしなければならない。そういう課題の追求には国内国外を問わず広く情報交換出来る体制の確立が要求される。つまり、全国的学会だけでなく、国際的学会としての性格を備えることさえ必要とされるのである。国際的学会となることにより、会員の研究は、地域的個別的のものであっても国際的な広がりをもち、一般的普遍的展開の展望が開けてくるであろう。
国際的名声の高い学会も、もともとはじめから国際学会としてスタートしたのではなく、地域学会としてスタートし、徐々に国際的性格を獲得してきたものである。ロンドン動物学会、ワシントン生物学会などは良い例である。狭い地域の名称を戴きながら、実際には会員も会誌の配布も世界的広がりをもっている。沖縄生物学会もこのような学会の仲間入りを目指して悪いはずが無い。
学会創設25周年に当たって、活性化の必要性を訴えなければならないのは残念だが、道は閉ざされているのみではなく、むしろ前途には光が満ち満ちている。
沖縄では、いま、県のレベルでも、大学のレベルでも、急速に国際交流活動が展開している。本学会も、また新たな活力をもって、地域学会、全国的学会としての基盤を固めながら、さらには、国際学会として発展することを夢みたい。
*沖縄生物学会会長
*President、Okinawa Biological Society